類微弱毒生インフルエンザワクチン(フルミスト)
医事新報2024.11.30
FDAは2024年9月にフルミストの自己投与を認めた。今回の決定により、医療従事者による投与を必要としない初のワクチンになった。日本では同年秋シーズンより2歳以上19歳未満で薬事承認された。価格は7000円から9000円。
生ワクチンは細胞培養(Vero細胞)で作製し、鶏卵で増殖。A型としてA(
H1N1)pdm09とA(H3N2)の2種の亜型、B型としてビクトリアと山形の2系統を含む4価ワクチンである。新型コロナ出現以降、B型の山形系は世界で分離されないので、日本では山形株は除れる。
2歳以上19歳未満では各鼻腔内に0.1mlを1回ずつ噴霧する。
2-18歳を対象とした国内第3相試験(J301)では、2016-2017年シーズンでインフルエンザ全体の発症防止効果は28.8%で、低年齢層で優位な結果は見られなかった。
一方不活化ワクチンの発症防止効果は、慶應小児インフルエンザ研究グループの研究で6ヶ月から15歳までの3869例で1−2歳での発症予防効果は、すべてのインフルエンザで41%であった。
2015〜16年シーズンで生ワクチンと不活化ワクチンの効果比較試験(NEJM2017)が実施され、不活化ワクチンの発症予防効果は60%、生ワクチンは5%で効果を認めなかった。CDCは2016~17年と2017~18年の生ワクチン使用しないように呼びかけた。
日本小児科学科似の見解としては「有効率が2〜30%であると説明した上で任意接種を推奨する」となっている。
有効率をフルミストに合わせた提言ではないか。
FDAは2024年9月にフルミストの自己投与を認めた。今回の決定により、医療従事者による投与を必要としない初のワクチンになった。日本では同年秋シーズンより2歳以上19歳未満で薬事承認された。価格は7000円から9000円。
生ワクチンは細胞培養(Vero細胞)で作製し、鶏卵で増殖。A型としてA(
H1N1)pdm09とA(H3N2)の2種の亜型、B型としてビクトリアと山形の2系統を含む4価ワクチンである。新型コロナ出現以降、B型の山形系は世界で分離されないので、日本では山形株は除れる。
2歳以上19歳未満では各鼻腔内に0.1mlを1回ずつ噴霧する。
2-18歳を対象とした国内第3相試験(J301)では、2016-2017年シーズンでインフルエンザ全体の発症防止効果は28.8%で、低年齢層で優位な結果は見られなかった。
一方不活化ワクチンの発症防止効果は、慶應小児インフルエンザ研究グループの研究で6ヶ月から15歳までの3869例で1−2歳での発症予防効果は、すべてのインフルエンザで41%であった。
2015〜16年シーズンで生ワクチンと不活化ワクチンの効果比較試験(NEJM2017)が実施され、不活化ワクチンの発症予防効果は60%、生ワクチンは5%で効果を認めなかった。CDCは2016~17年と2017~18年の生ワクチン使用しないように呼びかけた。
日本小児科学科似の見解としては「有効率が2〜30%であると説明した上で任意接種を推奨する」となっている。
有効率をフルミストに合わせた提言ではないか。
RSVワクチン
一般的名称 販売開始年月 製造販売元 製法の概要 用法及び用量
アレックスビー筋注用 組換えRSウイルスワクチン 2024年 1月 グラクソ・スミスクライン株式会社 アジュバントを含有
融合タンパク質(PreF3)抗原を精製し、安定剤を加え充填した後、凍結乾燥 60歳以上の者に1回0.5mLを筋肉内に接種
アブリスボ筋注用 組換えRSウイルスワクチン 2024年 5月 ファイザー株式会社 RSウイルスサブグループA(RSV-A)融合前Fタンパク質抗原
RSウイルスサブグループB(RSV-B)融合前Fタンパク質抗原
【私見】
いずれも遺伝子組換えタンパク質であり、不要な抗原抗体反応を惹起する可能性がある。ウイルスをホルマリン処理した不活化ワクチンならまだしも。日本での用法は60歳以上となっているが、CDCでは75歳以上となっており、ほとんど受ける意味がないのでは。。。75歳以上はもういいでしょう。
RSV感染症は罹患しても検出することが困難であり、その細胞障害性は乏しく、ホストの免疫応答により炎症が惹起されると言われている。発熱や倦怠感などの全身症状が乏しく、咳や痰がウイルス感染の免疫応答によって起こるならば、ステロイド吸入薬や抗ヒスタミン薬、抗ロイコトリエン薬などで対症療法するのみです。成人ではRSVの抗原検査は行いませんし、行ったとしても感度は2-30%と言われています。つまり、喘息症状で内科を受診する人の一定の割合でRSV感染症が紛れていることが考えられます。
RSVに対する成人適応の抗ウイルス薬はありません。乳幼児向けはpalivizumab(シナジス筋注、製造アストラゼネカ、2013年2月発売,薬価1V100mg10万円)、nirsevimab(ベイ フォータス筋注 50 mg シリンジ、同筋注 100 mg シリンジ、製造アストラゼネカ、2024年5月発売、薬価100mgで90万)があります。乳幼児は重症化するので、必要不可欠な薬剤ですね。
以上のような理由で、成人においてはRSV感染診断意義は乏しいため、それに対するワクチンを接種する意義も乏しいと思い、当院では取り扱いを見合わせています。
アレックスビー筋注用 組換えRSウイルスワクチン 2024年 1月 グラクソ・スミスクライン株式会社 アジュバントを含有
融合タンパク質(PreF3)抗原を精製し、安定剤を加え充填した後、凍結乾燥 60歳以上の者に1回0.5mLを筋肉内に接種
アブリスボ筋注用 組換えRSウイルスワクチン 2024年 5月 ファイザー株式会社 RSウイルスサブグループA(RSV-A)融合前Fタンパク質抗原
RSウイルスサブグループB(RSV-B)融合前Fタンパク質抗原
【私見】
いずれも遺伝子組換えタンパク質であり、不要な抗原抗体反応を惹起する可能性がある。ウイルスをホルマリン処理した不活化ワクチンならまだしも。日本での用法は60歳以上となっているが、CDCでは75歳以上となっており、ほとんど受ける意味がないのでは。。。75歳以上はもういいでしょう。
RSV感染症は罹患しても検出することが困難であり、その細胞障害性は乏しく、ホストの免疫応答により炎症が惹起されると言われている。発熱や倦怠感などの全身症状が乏しく、咳や痰がウイルス感染の免疫応答によって起こるならば、ステロイド吸入薬や抗ヒスタミン薬、抗ロイコトリエン薬などで対症療法するのみです。成人ではRSVの抗原検査は行いませんし、行ったとしても感度は2-30%と言われています。つまり、喘息症状で内科を受診する人の一定の割合でRSV感染症が紛れていることが考えられます。
RSVに対する成人適応の抗ウイルス薬はありません。乳幼児向けはpalivizumab(シナジス筋注、製造アストラゼネカ、2013年2月発売,薬価1V100mg10万円)、nirsevimab(ベイ フォータス筋注 50 mg シリンジ、同筋注 100 mg シリンジ、製造アストラゼネカ、2024年5月発売、薬価100mgで90万)があります。乳幼児は重症化するので、必要不可欠な薬剤ですね。
以上のような理由で、成人においてはRSV感染診断意義は乏しいため、それに対するワクチンを接種する意義も乏しいと思い、当院では取り扱いを見合わせています。
アインシュタインとセイルボート
BoatU.S.に興味深い記事を見つけました。私も50歳からセイルボートを始めました。
DeepLで翻訳したものを転載します。
アルベルト・アインシュタインは、世界の謎を解き明かしながらも、私たちと同じように、水辺でボートに乗って遊んでいたのです。
「天才」という言葉を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、慈愛に満ちたしわだらけの顔の上に、乱れた白髪を四方八方に振り乱している姿ではないだろうか。その背景には、長い黒板があり、細かい文字が書き込まれている。この顔は、1905年に物理学の世界を震撼させ、現代の空間と時間の研究の基礎となった「相対性理論」を発表したドイツ生まれの物理学者の顔であり、天才と最も結びついた顔である。彼の最も有名な公式であるE=mc2は、老若男女を問わず、あらゆる場所で認識されている。しかし、それが何を意味するのかを説明できる人はほとんどおらず、その意味を理解できる人はさらに少ない。
アインシュタインは、世界で最も偉大な頭脳の持ち主でありながら、多くの点で、私たちと同じような人間であった。彼は、余暇に自分の考えを整理するために、埃まみれの本が並ぶ象牙の塔に閉じこもり、世間の目を気にするようなことはしなかった。その代わり、自分の船に乗ることを切望していた。もし、彼が何度も船を座礁させたとしても、その時々の船乗りとしての技量のなさは、彼のインスピレーションを刺激するものであったかもしれない、と考えることができるだろう。
第二次世界大戦で家も財産も奪われ、世界で最も有名な難民となる前のアインシュタインは、50歳の誕生日に友人から贈られた自慢の21フィートのスループ「タムラー」に乗って、機会あるごとに彷徨っていたそうで、医者から静養を命じられた後だった。タムラーとは「イルカ」という意味で、アインシュタインの好みに合わせて造られた。アインシュタインは、エンジンが苦手で、車の運転も習ったことがなかった。タムラー号は、船内エンジンを巧みに隠し、使わないときは制御装置も見えないようになっていた。小さな船室には、小さな頭部と座席があり、パイプを収納するための棚もあった。
アインシュタインは、1933年にゲシュタポに全財産を没収されるまで、ドイツ・カプトの別荘からタンムラー号を走らせていた。その後、亡命先のニュージャージー州から、愛用の「分厚い小舟」をナチスの魔の手から逃れさせようとしたが、失敗に終わった。ドイツ造船所のオーナーは、タンムラーを中立国に移してアメリカに送ることもできたはずだが、ナチスの報復を恐れて、それをしなかったのだ。結局、タムラーはオークションで売却され、1940年代半ばにその記録は消えてしまった。
アインシュタインは、渡米後、もう1隻、15フィートの船を所有し、ニューイングランドを航海していた。ティネフとは、イディッシュ語で「価値のない」、あるいは単に「がらくた」を意味する。おそらく、もっと立派な船であるタムラー号と比較していたのだろう。あるいは、遊び心で「ティネフ」と呼んだのかもしれない。ティネフは船乗りの腕前がよく、他の船に向かって猛スピードで突っ走ったかと思うと、最後の最後で笑って追い返したという話もあるし、家から数百メートルのところにある砂州に定期的に座礁していたという話もあって、船乗りの無能ぶりがうかがえる。ティネフは結局、ニューヨークのサラナク湖で航海中に岩に乗り上げてしまい、その痕跡も写真も残っていない。
風や潮の満ち引き、波など、常に変化し、予測不可能な要素を伴う船遊びを、あれほど整然と正確に思考していた人物が楽しむことができたのは、不思議に思う人もいるようだ。それは、「複雑な科学的思考から解放されるには、多少のカオスが必要だったのかもしれない」と推測する。しかし、ボートを愛し、できるだけ多くの時間を水の上で過ごす私たちは、違う結論を出すかもしれない。私たちは、自然の力が、穏やかに水面を揺らすにせよ、轟々としたうねりとなって積み重なるにせよ、常に発揮されていること、大きな秩序を示していることを知っていますし、アインシュタインの研究が、まさにその力を扱っていなかったとしたら、何を扱っていたのでしょうか?アインシュタインの有名な方程式にある目に見えない「E」というエネルギーが物質を動かし、海や船を愛する私たちを夢中にさせる風や潮流や波を生み出しているのです。アルベルト・アインシュタインは、自然の営みの果てにあるものを見ることで、その根源にある自然の法則を認識し、定義することができたのかもしれない。
Einstein's Energy for His Boats(BoatU.S.)
DeepLで翻訳したものを転載します。
アルベルト・アインシュタインは、世界の謎を解き明かしながらも、私たちと同じように、水辺でボートに乗って遊んでいたのです。
「天才」という言葉を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、慈愛に満ちたしわだらけの顔の上に、乱れた白髪を四方八方に振り乱している姿ではないだろうか。その背景には、長い黒板があり、細かい文字が書き込まれている。この顔は、1905年に物理学の世界を震撼させ、現代の空間と時間の研究の基礎となった「相対性理論」を発表したドイツ生まれの物理学者の顔であり、天才と最も結びついた顔である。彼の最も有名な公式であるE=mc2は、老若男女を問わず、あらゆる場所で認識されている。しかし、それが何を意味するのかを説明できる人はほとんどおらず、その意味を理解できる人はさらに少ない。
アインシュタインは、世界で最も偉大な頭脳の持ち主でありながら、多くの点で、私たちと同じような人間であった。彼は、余暇に自分の考えを整理するために、埃まみれの本が並ぶ象牙の塔に閉じこもり、世間の目を気にするようなことはしなかった。その代わり、自分の船に乗ることを切望していた。もし、彼が何度も船を座礁させたとしても、その時々の船乗りとしての技量のなさは、彼のインスピレーションを刺激するものであったかもしれない、と考えることができるだろう。
第二次世界大戦で家も財産も奪われ、世界で最も有名な難民となる前のアインシュタインは、50歳の誕生日に友人から贈られた自慢の21フィートのスループ「タムラー」に乗って、機会あるごとに彷徨っていたそうで、医者から静養を命じられた後だった。タムラーとは「イルカ」という意味で、アインシュタインの好みに合わせて造られた。アインシュタインは、エンジンが苦手で、車の運転も習ったことがなかった。タムラー号は、船内エンジンを巧みに隠し、使わないときは制御装置も見えないようになっていた。小さな船室には、小さな頭部と座席があり、パイプを収納するための棚もあった。
アインシュタインは、1933年にゲシュタポに全財産を没収されるまで、ドイツ・カプトの別荘からタンムラー号を走らせていた。その後、亡命先のニュージャージー州から、愛用の「分厚い小舟」をナチスの魔の手から逃れさせようとしたが、失敗に終わった。ドイツ造船所のオーナーは、タンムラーを中立国に移してアメリカに送ることもできたはずだが、ナチスの報復を恐れて、それをしなかったのだ。結局、タムラーはオークションで売却され、1940年代半ばにその記録は消えてしまった。
アインシュタインは、渡米後、もう1隻、15フィートの船を所有し、ニューイングランドを航海していた。ティネフとは、イディッシュ語で「価値のない」、あるいは単に「がらくた」を意味する。おそらく、もっと立派な船であるタムラー号と比較していたのだろう。あるいは、遊び心で「ティネフ」と呼んだのかもしれない。ティネフは船乗りの腕前がよく、他の船に向かって猛スピードで突っ走ったかと思うと、最後の最後で笑って追い返したという話もあるし、家から数百メートルのところにある砂州に定期的に座礁していたという話もあって、船乗りの無能ぶりがうかがえる。ティネフは結局、ニューヨークのサラナク湖で航海中に岩に乗り上げてしまい、その痕跡も写真も残っていない。
風や潮の満ち引き、波など、常に変化し、予測不可能な要素を伴う船遊びを、あれほど整然と正確に思考していた人物が楽しむことができたのは、不思議に思う人もいるようだ。それは、「複雑な科学的思考から解放されるには、多少のカオスが必要だったのかもしれない」と推測する。しかし、ボートを愛し、できるだけ多くの時間を水の上で過ごす私たちは、違う結論を出すかもしれない。私たちは、自然の力が、穏やかに水面を揺らすにせよ、轟々としたうねりとなって積み重なるにせよ、常に発揮されていること、大きな秩序を示していることを知っていますし、アインシュタインの研究が、まさにその力を扱っていなかったとしたら、何を扱っていたのでしょうか?アインシュタインの有名な方程式にある目に見えない「E」というエネルギーが物質を動かし、海や船を愛する私たちを夢中にさせる風や潮流や波を生み出しているのです。アルベルト・アインシュタインは、自然の営みの果てにあるものを見ることで、その根源にある自然の法則を認識し、定義することができたのかもしれない。
Einstein's Energy for His Boats(BoatU.S.)